江戸時代、伊豆大島の一大産業であった椿の炭焼き。椿の木から作られる炭は火の持ちがよく、美しい白灰が残るため、幕府への年貢としても納められていたほど重要な産品でした。
しかし時代は移り変わり、生活基盤を支える燃料が炭から石油や都市ガスに置き換わりました。大島の炭焼きの担い手も少なくなり、現在ではごくわずかな生産者さんのみとなっています。
そんな中、伊豆大島で椿の備長炭をつくろうと立ち上がったのが株式会社東京備長の平井雄之さんです。平井さんは大学院生だった頃に「大島椿炭プロジェクト」を立ち上げたのをきっかけに伊豆大島での椿炭の製造の可能性に出会いました。事業化を決意し、炭作りの技術を習得するため高知県室戸市で1年間修行を積んだ後、2024年7月から伊豆大島で大きな挑戦をスタートさせました。
平井さんは、なぜ伊豆大島で炭焼きに取り組むことを決心したのでしょうか。
「花が咲き、実がなり、その実から椿油を絞り、木を切って炭にし、燃え尽きた灰も陶器の釉薬などに利用する…伊豆大島ではそんな椿のライフサイクルに寄り添いながら、上手にライフスタイルに取り入れつつ生活をしてきました。
そんな伊豆大島における椿の循環も興味深かったのですが、さらに炭について学ぶうちに、日本の林業問題に行き着きました。燃料革命で木炭や石炭からガスへと移行・普及した1960年代以降、日本の林業は衰退の一途を辿りました。今では全国の山々が手入れされずに多くの古木を抱えてしまっています。
だからこそ、山の木を切って炭にする事業は、豊かな生態系を取り戻すために意義があると考えたんです。」
島の森に目を向けてみると、手入れがされていない森林が多く存在することに気づきます。かつての一大産業であった炭焼きが衰退することで、森をはじめ自然界に与えている影響は計り知れません。
平井さんが目指すのは、産業の復興だけではありません。
椿の炭作りを通じて、日本の林業問題に立ち向かい、山を守り、地球本来の循環を取り戻そうと活動しています。
「炭焼きを始めてから、森に入ることの重要性に気づきました。調べていく中で『森林飽和』という言葉に出会いました。木が生い茂ることで山が飽和状態になり、その結果、さまざまな弊害が生まれています。
例えば、室戸の先輩と話した時、昔は砂浜がもっと長かったと言うんです。以前に読んだ本には、世界の砂浜がどんどん短くなっている事実やその理由について書かれていました。それは、必ずしも海面上昇が原因だけではなく、山の樹木が育ち過ぎた結果、山の土砂が川に流れず、川の土砂が海へ流れ込まなくなっていることが原因であることを知りました。
山の木を切らずに放置することが、山から海への栄養が流れない原因にもなっていて、人間と同様、積極的に新陳代謝させていくことで自然環境の保全につながる。全てが循環しているのだと感じましたね。」
椿の炭焼きを深掘りしていくと、椿の循環に限らず、山や海の循環にも重要な役割を果たしていることがわかります。
平井さんが目指す未来はどのようなものでしょうか。
「少し大げさに言うと、椿の循環における炭のピースが欠けることで、循環が止まってしまうと思うのです。けれど、この新たな時代に合わせて椿の備長炭を作ることで、かつて大島の方々の生活を支えてきた椿の循環をもう一度回し始めることができます。炭焼きは椿の循環における重要なピースとして、とても大きな役割だと確信し、いち早く構想を実現できるよう取り組んでいきます。」
椿の炭焼きという地域産業の復興の背景には、誰もが関わりのある森や海を保全し、いつまでもこの豊かな地球を続けていくための大切なアクションがあることを教えてくれています。
平井さんとのお話を通じて、ただ経済合理性だけを追求するのではなく、ここにしかない風土が長い時間をかけて築き上げてきた自然資本や文化資本、そして社会関係資本といった多様な資本にも眼差しを向けながら事業に取り組んでいく姿勢が大切になると強く思いました。
取材・撮影:東京都離島区